あなたは大阪の『一夜官女(いちやかんじょ)祭り』をご存知ですか?
『一夜官女祭り』は大阪府の指定文化財に登録されている、
全国的にも珍しい『人身御供』の神事です。
1382年に創建されたと伝わる『野里住吉神社』で
毎年2月に行われる『一夜官女祭り』。
いったいどんな行事なのでしょうか?
今回は『一夜官女祭り』に関する歴史や開催日程、アクセス情報などをご紹介します。
一夜官女祭りの歴史は?
その昔、野里という村がありました。
この村は『泣き村』と称されるほどに水害に見舞われており、
厄病にも苦しんでいました。
ある時、悩んだ村人たちは
『村を救うために乙女を神に捧げよ』
という神のお告げを授かったと伝えられ、
村の古老達は村を救いたいという願いから、
旧暦の毎年1月20日に白矢の打ち込まれた家の娘を
唐櫃(脚の付いた櫃)に入れ、人身御供として深夜の神社に放置しました。
神のお告げに従い、人身御供、
つまり「人間を神の生け贄」にしたというわけです。
しかし、この習慣が始まって7年。
例年どおり村人たちがこの儀式の準備をしていると、一人の武士が訪れます。
事情を聞いた武士は怒り、
『神は人を救うが、見返りに犠牲を求めることなどはない』
と、言い放ったとされています。
「ええっ!?」
驚く村人たち、すると武士は今度は自身が唐櫃に入ると言い出します。
「ええええええ??」
さらに驚く村人たち。
「・・・じゃ、、じゃあ(ど、どうぞ)」
と、村人たちは、
武士を唐櫃に入れて、
コイ、フナ、ナマズ、餅、酒、小豆、干し柿、豆腐、大根、菜種菜と共に
神社に運び込み、一晩放置しました。
翌朝、村人達が神社に行くと、唐櫃は壊れ、境内はあたり一面は血まみれ。
武士の姿はありません。
境内から点々と続く血を追いかけると、隣の申村まで続いており、
大きな狒々(一説では大蛇)が絶命していました。
この時を境に、長年村を苦しめていた水害と疫病が無くなっていき、
村人は感謝の気持ちを込めて、
神事として現在まで伝えているのが『一夜官女祭り』なのです。
気になるのは、この時の武士、いや勇者ですよね?
この武士の名前は、薄田隼人(別名・岩見重太郎)とされており、
その後、大阪夏の陣(※1)で亡くなったと伝えられています。
それにしても、神を畏れる時代において、神託に逆らうことになる行為を、
村人達はどう考え、どんな想いで武士の提案に踏み切ったのでしょうか。
そこには
『神のお告げとはいえ、村の幸せのために一部の村人を犠牲にする』
という矛盾に苦しむ葛藤と、もし叶うなら本当の幸せが欲しい
という気持ちがあったのかもしれませんね。
ちなみにこの聞き慣れない言葉『一夜官女』の意味について、
『一夜官女祭り』は明治時代には夜に行われていたため、
その時間帯を表して『一夜』という意味があります。
『官女』とは元々将軍家や宮中に仕える『位の高い女性』を指し、
この二つの言葉の意味から『一夜官女』という名前になったとされています。
昔は12〜13歳くらいの女の子が『一夜官女』に選ばれていたそうですが、
現在では学校などの関係から
幼稚園〜小学校低学年くらいの女の子が選ばれるそうです。
(※1)大阪夏の陣
1614年(慶長19年)に起こった、徳川幕府と豊臣家の戦いで『戦国時代最後の大合戦』と言われている
一夜官女祭りの2019年の日程は?
2019年の『一夜官女祭り』は、下記の日程で開催されます。
2019年2月20日(水)14:00〜16:30頃 雨天決行
祭礼当日、正装した行列が野里神社を出発し、
『当矢』と呼ばれる会所まで7人の一夜官女を迎えに行きます。
2019年の『当矢』はまだ確定していませんが、
野里の『老人憩の家』である可能性が高いとのこと。
『当矢』では当矢の式(親子別れの盃)が行われた後、
7台の夏越桶に分納した特殊神饌(※2)をしつらえ、
野里住吉神社に向かいます。
神社に到着すると、本殿で神楽が奏上され、1時間ほどの祭事が行われ、
終了すると直会(なおらい)があり、全員でゴンタクロウ汁をいただきます。
(※2)神饌 しんせん
神社や神棚に供える、酒や食べ物などの供物のこと
一夜官女祭りへのアクセスは?
『一夜官女祭り』へのアクセスは、下記のとおりです。
☆電車の場合
JR東西線 御幣島駅から徒歩約10分
JR神戸線 塚本駅から徒歩約10分
☆お車の場合
『一夜官女祭り』が行われる『野里住吉神社』では、公共交通機関の利用を推奨されています。
どうしてもお車でお出かけの場合は、隣駅などの有料駐車場に駐車し、公共交通機関でお出かけしましょう。
一夜官女祭り おわりに
いかがでしたでしょうか、
今回は『一夜官女祭り』に関する歴史や日程、アクセス情報などを
ご紹介してきました。
ちなみに『一夜官女祭り』が行われる『野里住吉神社』の本殿の裏には、
一夜官女の乙女塚があります。
ここは昔、人身御供となった女性達が運ばれた『龍の池』があった場所とされ、
現代でも語り継がれています。
由来こそ悲しい歴史を後世に残しされたものですが、
現代では地域の安全と幸せを願う行事になっています。
地域で選ばれた乙女たちが綺麗な着物を着て練り歩く、
そんな明るく華やかな雰囲気は、
平和になった姿が映し出しているのかもしれませんね。
かつてその地に生きた人たちの想いや
現代の平和な姿を体感できる『一夜官女祭り』、
ぜひあなたも一度見に行ってみてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
文:星野貴史