「鬼は~外っ!福は~内っ!」
あなたも小さい頃、鬼のお面を被った大人たちに豆を投げた記憶があるのでは?
あの頃は夢中に豆を投げていましたよね。
しかし、大人になると
なぜ体格差のある屈強な鬼に豆などを投げていたのか?
うまく説明できない方も多いのでは?
今回は、節分とは何か、その起源をはじめ、
そもそも鬼に豆が本当に効くのか、
もし効いてない場合、恵方巻なんて食べていたら危険なのでは?
など、昔は気が付かなかった色々な疑問も含めて掘り下げていきます。
節分って、いつ?
節分とは、雑節(ざっせつ)であり
春夏秋冬季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日を指しています。
また、「季節を分ける」
と意味しているとも言われています。
これらの節は、
江戸時代以降においては
立春(毎年2月4日頃)前日を指し示すケースが多いのです。
旧暦においては、
立春に最も近いとされる新月が元日とされ、
月の満ち欠けを基準に元日と、
太陽黄経(※1 たいようこうけい)
を基準にした立春を新年と捉えていました。
ですので、大晦日と節分は、年越しの日
と意識していた事となる訳です。
現在においても、
一般的な節分のイメージとしては、
「鬼は外、福は内」だと思います。
「福豆」と呼ばれる煎り大豆を鬼に向かってまき散らす
これが、一般的な節分のイメージですよね?
また、厄除けとしては
年齢の数だけ福豆を食べるのもお馴染みの光景です。
そして、邪気除けとしては、
下記のような柊鰯(※2 ひいらぎいわし)などが飾られます。
これらの飾り物は、地方ごとに異なり、
神社等でも宗派により異なるとされています。
(※1)太陽光経
太陽が地球上を通っていく経路である黄道を、等しく分割した座標のこと。春分点の座標を0として360度に分割する。
(※2)柊鰯(ひいらぎいわし)
山地に自生する植物である柊(ひいらぎ)の小枝と、焼いた鰯(いわし)の頭を玄関などに飾ったもののこと。
節分の起源は?
あなたは節分の本来の由来や意味を説明できますか?
これらを知る為には、
実は立春がとっても重要なポイントになるのです。
節分と立春は深い関係性があります。
春の訪れは、立春が境であり
草木も芽吹き春らしさを実感する様になります。
暦上は、まだ2月ですから春の訪れを感じつつも、
地方によってはまだ冬真っ盛り
といった地域もある事でしょう。
どうして2月が立春なのかというと、
この暦を作成したのが中国だったことから、
日本と中国の四季の違いが生じた結果だったとされています。
節分の起源とは何なのか?
そもそも節分は、季節の変わり目を示す言葉ですから、
「季節を分ける」
という理解してよいでしょう。
日本の四季は、
「春」、「夏」、「秋」、「冬」であり、
それらの始まりを示す日が
「立春」、「立夏」、「立秋」、「立冬」で、
その前日が季節の変わり目を意味し、
呼称として、節分と言われ続けているのでした。
だとすると、節分は年4回あるはずです。
でも現在は1回しかありませんよね?
ここで暦との関係性が生じてくるのです。
旧暦だと、節分の日は、大みそかにあたり、
立春の日は、元日となり、
現在の立春の日が旧暦では新年(元旦)にあたります。
古い日本の風潮として
「季節の変わり目には、家の中に邪気が入ってくる」
と言い伝えられています。
宮中においても
大みそかに邪気を払い新年を迎えると言われており、
この儀式の事を、「節分」と称していました。
これは追儺(※おにやらい)と呼ばれ、
「福は内、鬼は外」と大声で唱えながら、
炒(い)り大豆の鬼打ち豆をまき、
邪気を追い払う行事をしていました。
当時、大豆を炒めた豆を撒いていたとされ、
平安時代に京都の鞍馬山の鬼が都を荒らした際に、
毘沙門天のお告げで豆を鬼の目に投げつけたところ、
退治できたとされています。
鬼は魔とされていましたので、
鬼の目に豆を投げつけたことが「魔目(まめ)」、
そして魔を滅する意味での「魔滅(まめ)」となったとか。
え? つまり、豆を投げて
動き回る鬼の目に当たらないと効かない
ってこと???
さておき、
節分の起源はまさにこうした行いだったのです。
また、古来の人々にとっては
春を迎える立春の時期は大きな意味を持つ日でした。
現在の立春の日が、
古来の人々にとっては新年の始まりでした。
つまり、農作業に従事することが多かった
古来の人々にとっては、
生命が躍動する「春」が1年の始まりで、
「春の節分」の日が年初めとされてきたのでした。
事実、この時期はまだ寒さが残る時期です。
恐らく、風邪等を引きやすい時期である事からも、
厄除けの儀式は病気回避の側面からも、
重要視されていたと考えられていたと推察できます。
こうした風習が受け継がれ、
現在の節分に繋がっているといえるでしょう。
節分の恵方巻の由来は?
恵方巻きのルーツは関西が発祥とされ、
その由来は、江戸時代~明治時代まで遡ります。
当時、大阪の花街で節分をお祝する意味合いと、
商売繁盛祈願として始まったと伝えられています。
花街で商人や、芸子さんたちは、節分の日になると、
芸遊びと共に商売繁盛祈願として恵方巻を食べ、
「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」と呼ばれていた様です。
(この頃は恵方巻と呼ばれる事はなかった様です。)
七福にちなみ7つの具材を入れて巻く事から、
恵方巻とは7つの具が入る巻物
というスタンスが定着したのです。
また、一本まんま丸かじりするのはどうしてでしょうか?
それは、一本まんま丸かじりすることで
幸福や、商売繁盛を意味するのです。
途中で止めてしまうことで、運を逃してしまい、
一気に食べるとその年の幸福が手に入る
そんな意味合いから、
恵方巻は1本まんま丸かじりするとの話に展開したのです。
この言い伝えは現在の私たちの節分まで受け継がれ、
しっかり定着していますよね。
節分 おわりに
いかがでしたでしょうか。
節分って意外と知らないことが多いですよね。
節分は、「無病息災」「幸福祈願」などといった様に、
人々の想いが込められた重要な日であったことが伺えます。
現在もこの意味合いは受け継がれているものの、
少し商業性が強くなっているのも事実ですが、
今後も日本の伝統文化の一つとして大切に継承していきたいものですね。
2019年の節分も、ぜひ恵方巻きの一本まるかじりを!
あなたとご家族みんなが元気で
幸福な1年を迎えられるようお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。