人の不幸は蜜の味
―誰もが耳にしたことのあるこの言葉。
でも、実際はどうでしょう。
あなたは人の不幸な姿を見たり、
人の転落話を耳にしたとき、
まるで甘い蜜を吸ったような恍惚の表情を浮かべてしまったり、
なんだか嬉しい気持ちになったになったご経験はありますか。
この気持ちは誰しも経験したことがあるといっても過言ではないと思います。
例えば日々繰り返される「芸能人のスキャンダル」。
これも人の不幸は蜜の味からくる興味心から視聴率などにつながり、
報道内容にも反映されているのではないでしょうか。
「人の不幸が好き」と大声で言う人はあまりいないでしょうが、
スキャンダル記事が好きという人にはしばしば出会うことがあります。
また、人の不幸を目の当たりにして笑っている人を見ることはありませんか?
今日はそのような「人の不幸を喜ぶこと」について考察していきましょう。
人の不幸は蜜の味?その心理状態とは?
まず、この「人の不幸は蜜の味」のことわざの語源について調べてみました。
しかし、驚くことにこのことば、
昔から言い伝えられているものではなく、ドラマの題名ではないかということでした。
日本で古くから言われる言葉で同義語とされているのは
「隣の貧乏は鴨の味がする(隣の貧乏は雁の味とも言う)」
ということわざでした。
こちらより「人の不幸は蜜の味」の方がわかりやすいですよね。
「人の不幸は蜜の味」は、ドイツにおけるシャーデンフロイデ(独:Schadenfreude)と呼ばれる心理状態であることがわかりました。
シャーデンフロイデとは、
自分が手を下すことなく他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる、
喜び、嬉しさといった快い感情のことです。
Schadenfreudeは「損害」「害」「不幸」などを意味する “Schaden” と
「喜び」を意味する “Freude” を合成したドイツ語であり、
意味合いとしては「他人の不幸を喜ぶ気持ち」
もしくは
「人の不幸を見聞きして生じる喜び」
のことをいうそうです。
まさに「人の不幸は蜜の味」のことですね。
アーロン・ベン・ゼェヴというイスラエルの哲学者は、
シャーデンフロイデが生じる状況の典型的特徴について、以下の3点を挙げています。
他者の不幸が相応と知覚されている
不幸の責任の所在によってシャーデンフロイデの生じやすさは変化するとしています。
その不幸が他者自身の落ち度であればシャーデンフロイデが生じやすいものの、
不可抗力な事態であればシャーデンフロイデは生じにくいとされています。
ただし、不可抗力な状況下でもシャーデンフロイデが生じない訳ではありません。
他者の不幸が深刻では無い
相対的に小さい不幸に対してシャーデンフロイデは生じやすいとされています。
誰かが死亡するなど、深刻な不幸に対してシャーデンフロイデは生じにくいそうで、
あまりにシャレにならないと蜜として笑えないといえるでしょう。
ただし、誰かが死んだとしてもシャーデンフロイデが生じない訳ではなく、個人差もあるようです。
他者の不幸に対して受動的である
「人の不幸は蜜の味」は、意図的に相手を不幸に陥らせる訳ではなく、
たまたま見聞きして幸福感を得るという特徴から、攻撃行動やサディズムとは異なります。
つまり、「人の不幸は蜜の味」の心理は
・常日頃から「こいつ痛い目を見ればいいのに」と思っている人が自身の責任で不幸になった場合
・あまり大きな不幸ではない場合
・意図して自身が陥れたわけではなく、たまたまその不幸を見聞きした場合
に生じやすいということを唱えているのです。
生じやすい、ということは生じない人もいるわけですね。
必ず生じる心理状態でもなければ、生じることが異常なわけでもありません。
それでは人の不幸を喜ぶ、笑う人に特徴はあるのでしょうか。
人の不幸を喜ぶ、笑う人の特徴は?
人の不幸を喜ぶ人の心理的特徴として挙げられるのが、以下の8点です。
1.人との繋がりを維持したいから
人の不幸を喜ぶのに人とのつながりを維持したいとは不思議なものですが、
『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』の著者、
脳科学者で東日本国際大学教授の中野信子氏は、
誰かを妬む感情がシャーデンフロイデとなり、さらには糾弾やバッシングまで進んでいくといいます。
中野氏によると、この一連の行動原理に「オキシトシン」という脳内物質が深い関わりを持っているとのことです。
ではオキシトシンは、いったいどんな働きをするのでしょうか。
オキシトシンは脳下垂体後葉ホルモンで、「幸せホルモン」などとも呼ばれ、
その分泌がスキンシップや安心感や信頼の気持ちの高まりなどとも密接な関係があるなど、
基本的には人間に良い影響を与えるホルモンと考えられています。
ではなぜ、「幸せホルモン」オキシトシンが、シャーデンフロイデという好ましくない感情と関係しているというのでしょうか。
その理由を中野氏は
「人と人とのつながりを強めるのが、オキシトシンの本質的な働きである」
と考えると説明がつくとし、
「誰かとの間に情緒的な特別な絆ができるとき、脳ではオキシトシンがその回路を形作るのに一役買っています。裏を返せば、人と人とのつながりが切れてしまいそうになると、オキシトシンが“私から離れないで”“私たちの共同体を壊さないで”“私たちの絆を断ち切ろうとすることは、許さない”という感情を促進させ、関係性が切れるのを阻止しようとする」
と述べています。
妬みはオキシトシンで強化され、シャーデンフロイデに至り、
既存の共同体や社会秩序を破壊し変更しようとする人物を排除しようとする
社会的排除の原理に向かうとしています。
こうしてみていくと、シャーデンフロイデはオキシトシンという誰もが持っているホルモンや脳の働きで生じるものであり、
誰しも避けて通れないという感情ということになってしまいます。
2. 自己嫌悪や自己肯定感の低さが原因の一つとなっている
人間だれしも、自己肯定感が低い状態の時に、自分を有能であると認めることは出来ません。
なぜなら、自己肯定感が低い人は、自分で自分を認めるのではなく、
人に認めてほしいと願っていることが多いからです。
このような人が人に認められている人を見たとき、
次の項目に続くような心理的状況になりがちなのではないでしょうか。
3. 相手が幸せになることで、自分が感じるであろう感情を避けたい
他人の不幸を喜んでしまう人に共通しているのが、
他人が幸福になることを認められないという点です。
自分よりも学力の高い大学に進学した人
自分よりも容姿や才能に恵まれた人と結婚した人
自分と同期なのに自分よりも早く出世したり仕事で成果を上げて名を上げた人
などの身近な幸福を素直に喜んでしまえば、今まで自分がしてきた努力や生き様が否定されるように感じてしまうので、
人の幸福を素直に喜ぶことができなくなるのです。
また他人が幸福になっているのを見ると、その人が幸せであろうと
自分が不幸になるわけではないのに、まるで自分は幸せではない、つまり不幸であると錯覚してしまうのです。
そのため、自分に向けて幸せな姿を見せてくる人を敵視したり、
場合によっては不幸になるように心の憶測で願ってしまったりするのです。
4. 自分を正当化したい
諦めたり、我慢したりした経験があると、その経験がなさそうな生き方をしている人に
感情移入しにくくなってしまいませんか。
あの人はすごい人だから…(私とは違う)と。
人が失敗すれば、挑戦を諦めたり我慢したりした経験のある自分を正当化することができると思ってしまい、
また逆に、人が幸福だと、自分の今までの努力や生き様が否定されるように感じてしまうのです。
そうして自分が不幸になったように錯覚し、幸せそうな人を敵視してしまい、シャーデンフロイデが生じてしまうのです。
5.自己愛が強すぎる
強すぎる自己愛は、いつのまにか
「自分だけが幸せになればいい」
「自分が世界の中心であり誰からも注目され、承認され、尊敬されるべきだ」
というような現実離れした万能感にあふれた自己中心的な物の見方を招いてしまうことがあります。
しかし、そうした思い込みがあるのにもかかわらず、
現実では自分の幸福(=愛情、利益、人望など)だけを追い求めようものなら
周囲と衝突を起こして自己愛を傷つけてしまったり、
自分よりもチヤホヤされて人気を集めている人に対して強い対抗意識を燃やしてしまい、
精神的に消耗してしまったりすることも否定できません。
そんな時に対抗心を燃やしている相手が、何らかのスキャンダルや不運で失脚してしまう場面を目撃すれば、
自己愛の強い人からすれば「自分の自己愛を傷つける邪魔者がいなくなった」と感じて
喜びを感じてしまうのです。
6.嫉妬・羨望が強い
嫉妬と羨望を明確に線引きすることは難しいのですが、
嫉妬:自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。
羨望: 自らの持たない優れた特質、業績、財産などを他者が持つときに起こる、それらへの渇望、ないしは対象がそれらを失うことへの願望やうらやましいという気持ち
と説明することができます。
嫉妬も羨望もどちらも似ている感情であり、両方の感情が入り混じった状態で他人の不幸を喜んでしまう事があります。
7.「世の中は不公平」であることに怒りを感じている
学力や名声、社会的な地位や評判を得るために努力をしているけれど、なかなか結果が出ず、くすぶっている人から見て、
あまり努力もせずに自分が欲しいものを全て持っている(ように見える)人を見かければ
強い不公平感を感じることでしょう。
この感情には、公正世界仮説と呼ばれる心理学用語が影響していると考えることができます。
公正世界仮説とは、努力すれば必ずいいことがある、悪いことをすれば必ずバチが当たる、
と言う世界は公正なものであるという考えを指す言葉です。
もちろん、この通りに進むことがないことはあなたもご存知の通りです。
しかし、そうした心理が奥底にあり、シャーデンフロイデが生じてしまうのです。
8.他人の不幸を見て不安を解消したい
動物の実験で、ねずみを拘束し、動けなくすると、ストレスホルモンが放出されます。
その拘束状態のねずみの前に、自由に動けるねずみを放すと、
拘束されたねずみは、ストレスホルモンの量が増大するそうです。
おれは動けないのに、なんでお前は自由なんだ、という妬み(ねたみ)の感情が
ねずみに生まれたというのです。
さらに面白いのが、拘束されたねずみの近くに同じように拘束された別のねずみを置くと、
1匹のときよりも、ストレスホルモンが減少したというのです。
自分が不幸であっても、同じレベルの不幸が別にあるということを認識することで、
ストレスが減ったのです。
同等のストレスを持つねずみが居るということで、
1匹の時より、自分のストレスが減った、ということは、
理屈でいうと、自分より、ストレスを感じている別のねずみが居れば、
さらに、ストレスが下がる、ということになります。
人間の社会では、「いじめ」の問題が注目されます。
これをネズミの実験に置き換えると、いじめにより自分より、
同等以上にストレスを感じている者を生み出すということで、
自身のストレスを軽減させている、ということが考えられるわけです。
これは非常に悲しいのですが、いじめる側のカウンセリングはこういった面を考えながら行うものなのかもしれません。
話を人の不幸を喜ぶ心理(シャーデンフロイデ)に戻すと、
自分と同等、もしくはそれ以上の不幸にあっている人を見ると喜ぶのはこういった感情からきているのかもしれません。
【人の不幸は蜜の味?】人の不幸を喜ぶ、笑う人の特徴は?病気なの? まとめ
いかがでしたでしょうか。
人の不幸を喜ぶ心理は病気ではなく、人に備わっている感情であるといえるのではないでしょうか。
誰にでも生まれる感情であることはわかったのですが、
できれば人にやさしくあれる人でいたいと思う気持ちも忘れずに生きていきたいものです。
過剰な「人の不幸は蜜の味」の発信、拡散には手を貸さずにいたいものです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。