毎年3月18日から23日頃にかけて行われる石川県の「おいで祭り」。
あなたはご存知でしょうか?
今年2019年は3月19日から24日にかけて行われます。
能登半島の付け根、羽咋(はくい)市にある気多(けた)大社の春祭りで、
正式には「平国祭」(へいこくさい、くにむけまつり)と言います。
春分の日を挟んで行われるこのお祭り、「寒さも気多のおいでまで」という言葉もある通り、
春の到来を能登路に告げる祭りとして人々にも親しまれています。
今回はそんな「おいで祭り」の歴史や見所、アクセス情報について探っていきたいと思います。
おいで祭りの歴史とは?
気多大社は「大己貴命(おおなむちのみこと)」を主祭神とする能登地方の一宮です。
「大己貴命」は「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の別名です。
伝説によれば、大己貴命は出雲から舟で能登に入り、
そこで土地を開拓しそして守護神として鎮座されたとか。
崇神天皇の時代に社殿が造営され、
奈良時代には平城京にも「北陸の大社」として名が伝わっていたようで、
あの「万葉集」には歌人・大伴家持(おおとものやかもち)が
気多大社に参拝した際の歌が載っているほど。
そして今回の「おいで祭り」の起源は、
記録上では大永年間(1521年~27年)にまで遡ると言われています。
能登の土地を開発したとされる祭神・大己貴命の苦労を偲び、
そして感謝を示すために始められました。
1731年(享保16)年の「気多大社縁起」によれば、
当時は「二月御神事」と呼ばれており、
国中の住民が出向き沿道で神様を出迎えたと伝えられています。
今では気多大社から七尾市にある能登生国玉比古(のといくくにたまひこ)神社まで
約300kmの行程を、約60名が5泊6日をかけ巡行していく大規模なお祭りですが、
この巡行のコースはまさに、
はるか昔大己貴命が能登の地を開発・平定する際に通った道とされています。
行列は神馬(しんめ)を先頭に、神職、神輿(みこし)、太鼓などが続き、
様々な祭典を行いながら目的地を目指します。
ゴール地点の「能登生国玉比古神社」は「気多本宮」とも言われ、
気多大社の旧地とされている神社です。
古式に倣って執り行われる神事も多くあり、
その規模と相まって今では全国的に注目されるお祭りとなっています。
おいで祭りの見所は?
「おいで祭り」の巡行は3月18日の朝7時から行われます。
見所は何といってもその行列です。
道中は慈照寺、白比古(しらひこ)神社などを経路としながら
「能登生国玉比古神社」を目指します。
ゴール地点「能登生国玉比古神社」で行われる豊作を祈る神事の中にも見所があります。
祭りに参加する人々が
神職の乗る馬を驚かし、その勢いで神職が馬から落ちると、その年は実り多き年になる
という言い伝えがあり、独特の行事として知られています。
「おいで祭り」は神様が移動する「神幸祭」としての意味合いが最も大きいですが、
他に五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願う「祈年祭」としても重要視されています。
おいで祭りへのアクセスは?
「おいで祭り」のスタート地点である「気多大社」へのアクセスを見ていきましょう。
電車とバス、お車での方法がございます。
電車とバスを乗り継ぐ場合
最寄り駅はJR七尾線の「羽咋駅」です。(金沢駅から約55分)
そこから北鉄鉄道バス(高浜、富来方面行き)に乗り換え、「一の宮駅」を下車。
(約10分)
下車後、徒歩約5分で到着します。
車をご利用の場合
- 東京から(約7時間)
関越自動車道→北陸自動車道→のと里山海道→「柳田I.C.」 - 大阪から(約4時間30分)
名神高速→北陸自動車道→のと里山海道→「柳田I.C.」 - 名古屋から(約4時間)
名神高速→北陸自動車道→のと里山海道→「柳田I.C.」
「柳田I.C.」を降り、約5分で到着です。
また、「気多大社」の近くには200台分の駐車場がございます。
おいで祭りとは? おわりに
今回は石川県羽咋市の気多大社で行われる「おいで祭り」の歴史や見所、アクセス情報について紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
そのルーツは日本神話にまでさかのぼる由緒正しい神事。
神幸祭として非常に大きい規模であることもさることながら、
その深い歴史もまた、「おいで祭り」の大きな魅力でしょう。
春の到来を一足先に感じることができる「おいで祭り」。
あなたも是非一度足を運んでみてはいかがでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。