あなたは龍角寺(りゅうかくじ)というお寺をご存知でしょうか。
龍角寺とは、寺院の名前であると同時に、
寺院周辺の地域全体の名称でもあります。
龍角寺は龍神が作った寺とされる伝説が残る古い寺院です。
更にその寺院が建立するより昔、
地域を納めていた豪族のための古墳が多数築造されました。
その古墳は現在も良好な状態で保存され、間近で見ることが可能です。
今回は歴史のロマンに触れられる千葉県印旛郡栄町にある龍角寺および、
龍角寺古墳群についてご紹介させていただきます。
寺はいいのう。特に古い寺には興味深い伝説が多く遺されておる
合理天狗くん、また寺院巡りに行くの?今度はどこのお寺?
今度は千葉県の印旛郡(いんばぐん)栄町の龍角寺に行こうと思っておる
栄町は千葉県の北部、利根川流域に位置し、東は成田市、南は印旛沼(いんばぬま)、西は印西市、北は利根川を挟んで茨城県に接しておる。東京都心より45キロメートル圏に入るぞ
日帰りで遊びに行くのにちょうどよさそう!龍角寺ってどんなお寺?
龍角寺は龍が作った寺という伝説がある。更に寺院の付近には龍角寺古墳群がある
古墳が見られるなんてすごい!行ってみたい!
龍角寺の歴史は?
龍角寺(りゅうかくじ)は、千葉県印旛郡栄町龍角寺にある天台宗の寺院です。
発掘調査の結果、7世紀にさかのぼる伽藍(がらん)跡が検出されており、
創建年代の古さという点では、関東地方でも屈指の古寺です。
龍角寺って名前がかっこいいね!竜神様と関わりのある寺なのかな?
うむ、『佐倉風土記』によれば、和銅2年(709年)に天から龍女がやってきて、一晩の内に寺の全ての建物を建てたといわれておる。その竜女が金の薬師如来像を祀ったのだそうじゃ。この龍角寺は最初は龍閣寺(りゅうかくじ)という名前じゃった
龍閣寺が龍角寺に名前を変えた理由に興味深いエピソードがある。天平3年(731年)国中がかんばつで苦しんだ際、龍閣寺の釈命上人は勅命を受けて雨乞いの祈祷(きとう)を行った。すると身の丈八尺ばかりの老人が進み出た。それは印旛沼(いんばぬま)にいる小龍であったとの言い伝えじゃ
雨乞いの祈祷に応えて龍が現れたんだ!龍はなんて言ったの?
小龍はこのように述べたそうじゃ
『わたしは印旛沼にいる小龍ですが、深く上人の法沢に浴しております。どうしてわが身を惜しんだりいたしましょう。
どうか、身を以って雨に換えさせてください。のち、わたしの死骸を目にするでしょうが、それは大龍に罰せられたのです』
うーん。難しくて龍の言っている意味がわからないよ、パンダにわかるように訳して
・・うむ、説明しようか。小龍はありがたいお経のおかげで己の罪がなくなったことを上人に感謝したのじゃ。上人は感謝するならば人々のために慈しみの雨を降らせてくれるように小龍に頼んだ。龍角寺は龍神が建てた寺なので雨を降らせられなければ面目が立たないと
うむ、小龍にはそれほどの力はなく、大龍の許しを得なければ雨を降らせられない。許しを得ずに雨を降らせたら、小龍は命を落とすことになる。それでも小龍はお経の礼として命をかけて七日七晩雨を降らせ、人々は救われたのじゃ
いや、まだ続きがあるのじゃ。その後、小龍の身は罰として三つに裂かれてしまった
しかし小龍は自分が三つに裂かれ、印旛沼の周辺に落ちることを予測していた。そのため、頭は龍閣寺に、腹は印西の地蔵堂に、尾は匝瑳(そうさ)の大寺(おおでら)に預けるように上人に頼んでおったのじゃ
小龍の亡骸を発見した人々は哀悼の涙を流し、小龍の身体を三か所に葬った。そして、頭を納めた龍閣寺は龍角寺、腹を納めた地蔵堂は龍腹寺(りゅうふくじ)、尾を納めた大寺は龍尾寺(りゅうびじ)と名を改めたのじゃ
改名にはそんな由来があったのか!龍の亡骸は三か所に納められているからから、龍のためにお祈りするなら寺院巡りをしないとね
今も尚、人々は龍のために祈り続けておるぞ。龍角寺には栄町のボランティアガイドさんがいてお話を聞くこともできる。また11月3日などお堂に入れる日があり、薬師如来像や龍の頭を見ることができるぞ。実は三つに裂かれた小龍の頭部のミイラが保管されているのじゃ
ミイラ!龍って伝説の生き物じゃなかったっけ?実在するの?それにしても興味深いお寺だなぁ
この寺は伝説だけでなく、貴重な歴史の痕跡が残されておるのじゃ。なんと寺の南方には古墳がある
古墳が見られるなんてすごい!どんな古墳なの?
龍角寺古墳群とその歴史は?
龍角寺の南には、最後の前方後円墳といわれる浅間山古墳や、古墳時代終末期(7世紀)最大の方墳龍角寺岩屋古墳などがあります。
龍角寺古墳群は、現在のところ114基の古墳が確認されています。
龍角寺古墳群は古代下総(しもうさ)国の中央部に栄えた「印波(いんば)」の有力豪族の古墳群です。
豪族の墓が前方後円墳から方墳へと変わる6世紀末から7世紀初頭の頃に築造されたと考えられています。
龍角寺古墳群は前方後円墳(円形の主丘に方形の突出部が接続する形式、鍵穴形)が37基、方墳(墳丘(ふんきゅう)の平面形が方形になる古墳)が6基、円墳(平面が円形の古墳)71基で構成されている
前方後円墳!授業で習ったよ。面白い形しているよね。ところで龍角寺古墳群っていつの時代から築造された古墳なの?
龍角寺古墳群は所属する古墳の一部しか調査発掘されていないため、まだ明らかになってないことも多い。ただ、古墳時代前・中期に築造された古墳は見当たらず、6世紀以降の古墳時代後期から築造が開始されたと考えられておる
6世紀!ずいぶん昔なんだね。ちなみにこの古墳群で一番大きい古墳の大きさはどれくらいなの?
龍角寺古墳群を構成する古墳の多くは小型で、前方後円墳では全長20~30メートル、円墳では直径10~20メートルのものが多い
しかし、7紀前半以降、最後の前方後円墳と言われる浅間山古墳や、日本第2位の規模を誇る方墳である岩屋古墳が造営された。これらの大規模な古墳は、印旛沼周辺地域の地域の主導権が、別の古墳群を造営した首長から龍角寺古墳群を造営した首長へと移ったことにより造営されるようになったとされておる
岩屋古墳の2重周溝を含めた規模のGPS観測を実施した際に、東西108.108m、南北96.604mという数値が出された。このことにより、調査により規模の明らかになった日本の方墳の中では最も大きな規模を有していることが明らかとなったのじゃ。ちなみに岩屋古墳は7世紀初頭に印旛沼周辺を支配した豪族の墓とみられる
現在、龍角寺古墳群の古墳の7割以上である78基が『千葉県立房総のむら』という体験博物館保存されておる。
遊歩道を歩きながら、古墳を間近に観察することができる施設じゃぞ
わー!わくわくするね!古墳が間近で見られるなんて楽しそう!
龍角寺へのアクセスは?
龍角寺および龍角寺古墳群を見ることのできる千葉県立房総のむらへのアクセス方法を紹介します。
①龍角寺
住所 千葉県 印旛郡栄町 龍角寺239
交通アクセス
・電車の場合……JR成田線安食駅から徒歩30分
JR成田線安食駅からバス竜角寺台車庫行き又は安食循環「酒直坂上」下車徒歩10分
・車の場合…… 東関東道成ICから車で20分(成田市街方面へ直進)
無料駐車場あり(台数不明)
②千葉県立房総のむら
住所 千葉県印旛郡栄町龍角寺1028
交通アクセス
・電車の場合……JR安食(あじき)駅からバスで約10分
JR成田駅からバスで約20分、徒歩約10分
・車の場合……、東関東自動車道成田ICから約30分
無料駐車場あり 普通車台数 343台 大型車台数 12台
龍角寺付近の駐車場はある?
龍角寺にも房総のむらにも駐車場がありますが、駐車場がいっぱいになっていた場合のために近隣の公共駐車場をご紹介します。
ただし、どこも置ける台数が限られているようなので、房総のむら駐車場を利用した方が良いようです。
①房総の村テニスコート駐車場
住所 千葉県印旛郡栄町龍角寺
注意点 舗装されていなくて車を止める線が見えづらい
②房総風土記の丘資料館 駐車場
住所 千葉県印旛郡栄町龍角寺
注意点 舗装されていて白線もきちんと引いてある。ただし止められる台数が少ない
③龍角寺古墳群の横にあるトイレ付近の無料駐車場
住所 千葉県印旛郡栄町酒直
注意点 舗装されていなくて線が見えづらい。
どこも規模が小さい上に停めづらそうじゃな。房総のむらの駐車場は343台も置けるようだからそちらを使った方がよいかもしれん
お寺にもちゃんと駐車場があるみたいだし、大丈夫そうだね
ちなみに房総のむらから龍角寺までは車で5分じゃ。1.7kmなので徒歩でも行けるぞ
【房総】龍角寺へ行こう!古墳群の歴史やアクセス、駐車場 おわりに
いかがだったでしょうか?
龍の伝説の残るお寺はファンタジー要素が大きくてわくわくしますね。
古墳の近くを歩いて回れる房総のむらも楽しそうです。
都心から気軽にアクセスできるのでぜひ歴史探訪してみて下さいね。
歴史は事前に調べてから行くのが楽しいよね!龍の伝説に想いを馳せながら印旛沼を巡ってみたい!
うむ、古墳が良好な保存状態で残っているというのも素晴らしいことじゃ。古代のロマンに胸を躍らせよう
最後までお読みいただきありがとうございました。