あなたは今年2019年10月12日のRIZIN20、「朝倉海VS佐々木憂流迦」戦をご覧になりましたか?
圧勝をおさめた海選手は試合を観戦していた堀口恭司選手をリングに招き入れ、
その場で再戦を約束しました。
最強のふたり「堀口恭司vs朝倉海」第二章の幕開けです!
今回は山本“KID”選手の愛弟子でもある堀口恭司選手の戦績や
朝倉海選手との再戦の行方について詳しくご紹介していきますね。
堀口恭司のプロフィール
- 名前 :堀口恭司(ほりぐちきょうじ)
- 生年月日:1990年10月12日
- 出身地 :群馬県高崎市
- 身長 :165cm
- 体重 :58kg
- 血液型 :AB型
- 所属 :American Top Team(アメリカフロリダ州)
- 階級 :バンタム級
- プロ成績:28勝3敗(2019年9月現在)
堀口恭司のデビューから米国進出まで
堀口選手の強さのベースにあるのは
5歳の時から二瓶弘宇氏のもとで始めた伝統空手であり、
その稽古は現在も続けています。
格闘家を志すきっかけは山本“KID”徳郁選手に強く憧れたことから。
高校卒業と同時に彼の経営するジム「KRAZYBEE」に弟子入りを果たしました。
その影響を受けてなのか、
しゃべり方や佇まいが少し似ているというファンも少なくありません。
2009年12月、堀口選手は入門間もない19歳で出場した
アマチュア修斗オープントーナメントにて
いきなりフェザー級チャンピオンになってしまいます。
翌年、異例のスピードでプロ昇格を果たした堀口選手はまさに無双状態!
快進撃を続けたのちの2013年10月、総合格闘技界の世界最高峰
UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)に参戦します。
アメリカでは名門・ATT(アメリカン・トップ・チーム)に籍を置き、
一気に3試合を連勝した堀口選手、ついに全米でも認知される存在となります。
UFC時代の7試合のうち唯一の黒星となったのは
当時フライ級最強と恐れられていたデメトリアス・ジョンソン選手との一戦のみ。
結果、堀口選手はUFCフライ級ランキング3位となり、
これは日本人初の快挙となりました。
堀口恭司の戦績と日本での活躍
Wikipediaより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/堀口恭司
しかし2017年、堀口選手は戦いの場を
アメリカのUFCから日本のRIZINに移します。
この理由については大きく2つあると言われています。
ひとつは、UFCではファイトマネーが低く試合数も少なかったこと。
UFC側としてはより認知度の高い有名選手の試合を組みたい思惑から
堀口選手になかなかお鉢が回って来ず、賞金や年俸も高くなかったようです。
また、英語が出来ないという点でもグローバルに売り込めないと判断されており、
団体側としては「堀口は強くても金にならない選手」
という認識だったことが透けて見えます。
いつの時代も「格闘技界」は強さを求める選手側と、
ビジネスとしても成立させなければならない団体側の、
持ちつ持たれつの関係で進んでいかなければならないジレンマがあります。
(長い間、那須川選手と武尊選手が戦えない事情もその一環ではないでしょうか。)
もうひとつの理由は「日本の格闘技界を盛り上げたい」という堀口選手の純粋な思いでした。
いつも自分を応援してくれる人たち、ファンの皆選手に闘う姿を間近で見て欲しい。
加えて、当時がん闘病中だった空手の師匠・二瓶先生への恩返しの気持ちを込めて
日本に戻ってきました。
UFCの次期王者候補である堀口選手の脱退を団体側はかなり引き留めたようですが
彼の決意は揺らぎませんでした。
UFCで鍛え抜かれた技で圧勝を続けるなか迎えた2017年大晦日、
石渡伸太郎選手を撃破しRIZINバンタム級グランプリ優勝を成し遂げました。
この姿を見た二瓶先生は
堀口選手に初めて涙を見せ「俺の誇りだ」と男泣きしたそうです。
残念ながら翌年にご逝去された先生ですが、
弟子の立派な成長に安堵と満足な想いだったのではないでしょうか。
人気・実力ともに名を轟かせはじめた堀口選手は
2018年、キックボクシングのスーパースター・那須川天心選手に戦いを挑みます。
当時としてはRIZIN最多来場者数2万7千人を記録したこの試合では
惜しくも判定負けに終わった堀口選手でしたが、
相手の土俵であるキックボクシングルールを承知のうえ
不利な状況下でも伝統空手をベースに
懸命に那須川天心選手と戦った彼に対して多くの称賛がおくられました。
堀口恭司と朝倉海の再戦はあるの?
そんな中、2019年8月、格闘技界に激震が走りました。
日米二冠王・堀口恭司選手が新鋭・朝倉海選手に人生初のKOで惨敗したのです。
果たして何人がこの結果を予測できたでしょうか。
確かに朝倉海選手は天性のポテンシャルやフィジカルの持ち主であり、
戦略家の兄・未来選手のクレバーな作戦も功を奏しました。
しかしながら、この敗戦には他にも原因があったのではないかともささやかれています。
ベストコンディションではなかった説
2017年4月から朝倉海選手との対戦まで
1度の欠場もなく11試合を戦っていた堀口選手。
トップファイターにして年間5~6試合をこなす選手は極めて稀です。
所属するATTの専属コーチも
「彼は慢性的な腰痛や度重なるオーバーワークにより小さな体はボロボロだった」
と語っています。
朝倉海選手との試合では実力の6割も出せていなかったのではないかともいわれています。
モチベーションが上がらなかった説
既に日米二冠王に君臨している堀口選手が
敢えて無名の朝倉海選手と戦うことに正直メリットはありません。
1度は断ったこの試合でしたが、
名古屋開催のRIZINに愛知県出身の海選手をマッチメイクすれば盛り上がるはずだ
と主催者側の榊原選手が説得。
格闘技界を盛り立てることは堀口選手にとっても悲願であるため、
趣旨を理解し承諾したと言われています。
つまり、どこか腑に落ちない中、格闘技界のために受けて立つことになった堀口選手、
普段はセコンドのATTチームが対戦相手の分析を緻密にするそうですが、
半年の間、怪我の治療をしていた朝倉海選手の直近データがなく、
そのステップが皆無のぶっつけ本番だったそうです。
一方で、半年の休養期間を経て力みなぎる朝倉海選手はその強靭なメンタルに加え、
地元名古屋のホームコートで仲間の大声援の後押しを受け、
大金星を狙って襲い掛かってきます。
そのセコンドには堀口選手と雑誌の対談の企画でスパーリングした際、
近い将来弟が戦うことを見据え弱点を分析してスパーリングしていたとされる参謀の兄、
朝倉未来が緻密な戦略を授けています。
両者のモチベーション、環境にかなりの乖離があったことは想像に難くありません。
環境や事情がどうであれ、朝倉海選手は文句のつけようのないカウンターパンチで
堀口恭二選手をマットに沈めました。
試合直後の会見で堀口選手はほぼ記憶がないと発言していることから
相当なダメージを受けていたと思われます。
そんな中でも堀口選手はひと言の言い訳もせず、すぐに再戦を希望しました。
これを受けた海選手も
「メリットのない試合を受けてくれた堀口選手と再戦するのは筋」として
その旨を快諾しています。
こういった経緯を受けてからの2019年10月12日、
朝倉海選手はまたひとつ伝説を作りました。
堀口選手を囲む「四天王」の一角である百戦錬磨の寝業師、
佐々木憂流迦選手との対戦を1Rわずか54秒でTKO勝利。
瞬きしていたら見逃すほどの瞬殺でした。
その後のリングインタビューにて堀口選手と海選手は
2019年大晦日にベルトを掛けた大一番を約束しました。
堀口選手に圧勝してもなお「まぐれだ」「ラッキーパンチだ」と揶揄されていた
海選手の今回の勝ちっぷりには格闘技ファンもどよめいているようです。
筆者個人的には試合直後、佐々木選手のもとに駆け寄って
「ありがとうございました」と一礼している海選手にとても感動しました。
ともあれ、再戦日は決定しました。
8月の堀口戦以来、自らを「劇的に成長している」と語る海選手。
堀口選手も次はATTチームと綿密な分析のもと、命がけで彼を叩き潰しにいくでしょう。
歴史に残る死闘が予測される大晦日のRIZINに今からワクワクが止まりませんね!
2019年12月11日更新
堀口恭司とは?戦績は?朝倉海との再戦はあるの?まとめ
いかがでしたか?
堀口恭司選手は強さだけでなく、その謙虚な姿勢やあくなき向上心でも
ファンを魅了する人格者でもあります。
(ファンとのオフ会の様子がYoutubeで見られますが、本当に謙虚です。)
現代にタイムスリップした武士のような佇まい、
一流のアスリートは一流の精神をお持ちだということを改めて認識させてもらえますね。
素敵な選手たちが命を削って技術を磨き切磋琢磨する日本の格闘技界、
あなたも応援してみてはいかがでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。