女子テニス界には「20世紀最後の天才少女」
と称された女性がいました。
16歳で4大大会(※)の1つである全豪オープンで優勝し、
最年少優勝記録を作ったマルチナ・ヒンギスです。
御パンダも大好きな選手で、学生時代は部屋にポスターを貼っていたものでした。
ヒンギスのテニスは、小柄でパワーがない分、
正確無比なショットとボールを自在に操る華麗なスタイルで、
多くのファンを魅了しました。
そんなヒンギス、引退後は日本のメディアにも取り上げられなくなり、
現在どうなっているのか、気になっている方もいらっしゃるのでは?
そこで今回は気になるヒンギスの伝説から現在までをまとめてみました。
(※)4大大会
全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープンのこと
Photo by Noah Buscher on Unsplash
マルチナ・ヒンギスの生い立ち
チェコスロバキアの代表選手であった母のもと、
1980年9月30日に生まれました。
母親は、ヒンギスの名前を考える際に、
ウィンブルドン選手権で大会史上最多優勝記録(9勝)をもつ、
同じチェコスロバキアのテニス選手である
“マルチナ・ナブラチロワ”から名前をとり、
マルチナと名付けたそうです。
そんな有名選手から名前をもらったヒンギス…
名前負けせず、2歳で始めたテニスでめきめきと才能を開花させ、
次々と前人未到の記録を打ち立てていきます。
次は、そんなヒンギスの大活躍をご紹介していきます。
マルチナ・ヒンギスの躍進
Photo by Filip Mroz on Unsplash
・12歳で、全仏オープンジュニアの女子シングルスで優勝
・13歳で、全仏オープンジュニア、ウィンブルドンジュニアの女子シングルスで優勝
ヒンギス「うーん・・・特に何もしなくてもランキング20位には入れていた」
と言うだけに、ジュニアの頃から天才の名を欲しいままにしていました。
(恐らく彼女の「何もしない」は、普通の人の「日々努力してる状態」です…)
・14歳でプロデビューし、全豪オープンにて「最優秀新人賞」を受賞
・15歳で、当時絶対女王であったシュテフィ・グラフに勝利
・16歳3ヶ月で全豪オープン初優勝
・16歳6ヶ月で世界ランキング1位となる
・16歳でウィンブルドン選手権、全米オープン優勝
この16歳での全豪オープン優勝、世界ランキング1位ともに最年少記録です!
全仏オープンだけ準優勝…ここで優勝出来ていたら、
最年少グランドスラム(4大大会制覇)だったのですが…。
その後も、全仏オープンのシングルスだけは準優勝止まりでした。
ちなみに、4大大会のダブルスと混合ダブルスでは
全て優勝経験があります。
これにより、シングルスでもダブルスでも
世界ランキング1位になっているんですね!
まさに最強、筆舌出来ない凄まじさなのです。
マルチナ・ヒンギスの挫折と復活
Photo by Kendal James on Unsplash
順風満帆で立ちはだかる壁を華麗に乗り越えてきたヒンギス。
御パンダも当分ヒンギスの時代が続くと思っていました。
しかし、意外に早く勢いが落ちてしまいます。
その原因とされているのが、
あまりにも早く天才として開花してしまったため、
技術に精神がついて行かなかった…ということです。
確かに、試合中に思うようにプレー出来ず
ラケットに当たったりする姿が印象に残っています。
また、もう一つ原因として言われているのは、
リンゼイ・ダベンポートやウィリアムズ姉妹(ビーナス、セリーナ)などの
パワーテニスが主流になってしまったというものです。
Photo by Josh Calabrese on Unsplash
それまでは、繊細なボールコントロールや
ラリーの組み立てで勝負する試合が多かったのですが…
サービスの段階で、パワーによるサービスエースで
試合を押し進めていくといったゲームが多くなりました。
ヒンギスが
「オールラウンドなスキルの上達ではなく、強打を重視する現代の若手選手には感心しない」
と述べたとありますが…
(御パンダはゲームを観る側としてもパワーテニスは面白くない派でした。。)
そして…ヒンギスは2003年の全豪オープン中に
足首の怪我を理由に現役引退発表。
ショックで、御パンダは涙で枕を濡らしました。
もうヒンギスの華麗なプレーは観ることはないと…
女子テニスから関心が薄れた矢先の
2006年、現役復帰してくれます!
御パンダだけでなく多くのファンが大興奮でテレビにかじりついたことでしょう。
天才ヒンギスは健在で、東レ パン・パシフィック・オープンの準決勝で
当時強かったマリア・シャラポアに快勝、
4大大会でも優勝はないまでも勝ち進みます。
そして再び世界ランキング7位まで上り詰めます。
また、ヒンギスの時代が到来!グランドスラムも!
と期待していたのですが…
2008年にコカイン陽性反応が出て(本人は否定していますが…)、
2度目の引退を発表します。
天才が、コカイン陽性で引退…
そんな引退悲しすぎる!とショックでした。
そんなヒンギス…なんと再度復帰を果たすのです。
きっかけは、ロジャー・フェデラーが
ロンドンオリンピックに混合ダブルスで出ないか
と打診したことだと言われています。
この混合ダブルスは実現しなかったのですが…
ファンとしては何としても観たかったコンビです(涙)。
その後、2013年に、ダニエラ…ハンチュコバと組んで、
ダブルス選手として復帰します。
悲しいことに、シングルスでの復帰はありませんでしたが、
ダブルスと混合ダブルスでグランドスラムを達成します。
ダブルスでも、ヒンギスはヒンギスらしく、
正確なボールコントロールと先読みのセンスで
華麗なプレーをみせてくれました。
そして、2017年に
「私にとってちょうどいい時だ。頂点にいるときに辞める方がいいし、とてもよい時間を過ごしたと言える」
と現役引退を発表し、ラケットを置きました。
マルチナ・ヒンギス おわりに
長年ヒンギスの表情を追い続けていた御パンダ。
引退発表の際のヒンギスの表情は…。
清々しくとてもスッキリしていました。
恐らく…もう現役復帰はないように思えます。
ただ、ヒンギスは、
「これからもテニスには関わっていきたい」と言っています。
選手としてのプレーはもう観られず、
ファンとしては寂しいものですが、
コーチとしてでもテニス界に戻ってきてあの輝く笑顔を見せてくれることを願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。